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子どもは親に無条件の愛を注いでいる

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今日、高1のななちゃんに会いに、彼女の通う高校へ行ってきた。

ななちゃんは留年したので、今年17歳。
同じ学年の子は、今2年生。

今年の3月、彼女は、進級できないことを知って、あっさり「もう1年、1年生をやる」と決めた。


普通は、他の子からの目を気にして、留年なんて恥ずかしいとか思うものだと思っていた。
それなのに、彼女は「もう1回、1年やるわ」と言った。
どうしてそう思うのかはあえて聞かなかった。

 

自分にとって、今、何が大事なのかということを
自分で決められる力がある彼女をすごいと思った。

そして、2回目の1年生の1学期は、1つも赤点がなかった。

彼女は、小学校5~6年生からほとんど学校には行ってない。
小学校高学年から中学3年の間の学習のハンディは大きい。

にもかかわらず、彼女なりに頑張っている。

 

家族との別れ

彼女の母親は彼女が中1のときに亡くなった。
薬の大量服薬がきっかけだった。

彼女の母親は、小学生の彼女の目の前で、リストカット、薬の大量服薬を繰り返した。
ななちゃんはそんな母親と一緒に生活していた。
家に居場所がなく、愛情を注いでくれる家族もなかったななちゃんは、
小学生の頃から援助交際をしていた。

母の生活も、ななちゃんの生活も荒れてしまっていた。

小学校の先生が家に迎えに行って学校に連れてきてもすぐに学校から逃亡してしまう。
生活を切り替えるためにと児童相談所で一時保護をしても、帰ったら元の生活。

そんな彼女が、母親の死を機に、地元を離れて里親さんのところで生活することとなった。
祖父や離婚して遠くで暮らしている実父を頼ろうとしたが、拒否された。
実父は再婚し、他の家族と一緒に生活をしていた。
ななちゃんは、その家族と一緒の生活でもいいと思っていたが、やはり馴染めなかった。
祖父は仕事も忙しく、手のかかる孫の世話は難しいので、施設か里親に預けたいと言った。

彼女は実家から車で3時間ほど離れた里親さんのところで生活することになった。

 

新しい一歩を踏み出した

中学校は不登校、エスケープでほとんど勉強はしなかった。
田舎の学校だったので、学校の先生が手を焼いた。

高校は公立の底辺校へ進んだ。
里親さんの家から電車とバスを乗り継ぎ、1時間半はかかる。
高校も続かないだろうと思っていたが、
高校に入学してから、彼女は毎日学校へ行くようになった。
あれだけ逃げてばかりいた彼女が、少し落ち着いた生活をするようになってきた。

今日は、他愛もない話をしていた。
11月は母の命日だと彼女は言った。

命日には毎年実家に帰省している。

「お母さん、何回忌だったっけ?」と聞いたら、
「去年が3回忌だったから、今年は4年目かな」と彼女。
子どもの前でリストカットや大量服薬をするような親だから、
彼女もきっと母のことはよく思ってないだろうと思っていた。

でも、母の思い出話を少ししたとき、
彼女は母のことをけっして悪くは言わなかった。

 

大切な家族

彼女は、母のことが好きだったんだと思う。
どんな親でも子どもにとっては大切な存在なんだということを
彼女に気付かされた。

子どものことを、「手がかかる」とか「いうことをきかない」とか、
子どもの愚痴を言う親は多い。

でも、虐待を受けていた子どもほど、親のことを悪く言わない。

子どもはわかっているのかもしれない。親の孤独を。
親の味方になってあげられるのは、自分だけだということを。

一生懸命守ろうとしていた母親が、こんなに早くいなくなってしまった。
もう、味方になってあげることもできない。
自分の味方になってくれる人もいない。

彼女にとっては、母親が唯一の家族だった。

彼女の心の中を察すると辛いなんていう言葉では表せない。
母は子どものそんな気持ちに気づいていたのだろうか…

ちょっぴり切ない気持ちになった。

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